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大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)5750号 中間判決

原告

ヒュルス・ジャパン株式会社

右代表者代表取締役

ペーター・ペーターゼン

右訴訟代理人弁護士

牧野良三

被告

シ・ホルスタイン商会こと

イエンス・ホルスタイン

右訴訟代理人弁護士

後藤三郎

大村須賀男

主文

原告の本件訴えに関する被告の本案前の主張は理由がない。

事実

第一  申立

一  原告

1  被告は、原告に対し以下の金員を支払え。

(一) 二億八〇〇七万一〇五〇円とこれに対する昭和五九年三月二二日から完済まで年六分の割合による金員。

(二) 一億二三二九万二七五〇円とうち一億〇九二六万四九五〇円に対する昭和五九年四月一七日から、うち一四〇二万七八〇〇円に対する昭和五九年五月九日から各完済まで年六分の割合による金員。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  被告

1  本案前の申立

原告の本件訴えをいずれも却下する。

2  本案に対する答弁

(一) 原告の請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の本案に関する事実主張

一  請求原因

1  原告は、別紙約束手形目録(1)ないし(10)表示のとおりの記載がある約束手形一〇通(以下「本件各手形」または「本件(1)ないし(10)手形」という。)を所持している。

2  被告は本件各手形を振り出した。

3  よつて、原告は、被告に対し本件(1)ないし(6)手形金元本二億八〇〇七万一〇五〇円及び本件(7)、(8)手形金元本一億〇九二六万四九五〇円とこれに対する各訴状送達の翌日から、本件、(9)、(10)手形金元本一四〇二万七八〇〇円とこれに対する訴状送達後に到来した満期の後である昭和五九年五月九日から各完済まで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因事実は全部認める。

三  抗弁の要旨

1  被告は、ドイツ連邦共和国の国籍を有する外国人であり、シ・ホルスタイン商会の商号で貿易商を営むものであり、原告は、昭和五四年一二月一一日、ドイツ連邦共和国所在のヒュルス化学薬品会社(以下「ヒュルス社」という。)の一〇〇パーセント出資により日本法に基づき設立された法人で、ヒュルス社の製品を日本国内で販売することを主たる業務とするヒュルス社の代理商である。

2  被告は、昭和五五年以降、原告との間で締結した副代理商契約(以下「本件契約」という。)に基づき、原告から供給されるヒュルス社の製品を日本国内で販売して販売マージン、手数料を得ていたが、原告は、昭和五八年五月二七日付の書面で被告に対し、同年一二月三一日限り本件契約を解約する旨の告知をし、昭和五九年一月以降被告にヒュルス社製品を供給せず、これを自ら日本国内で販売するに至つた。

原告は、何ら正当な理由に基くことなく右解約の告知をしたものであるから、被告に対し、被告が昭和五九年以降三年間従前どおりヒュルス社の製品を日本国内で販売したのであれば得たであろう利益相当額三億八二〇〇万円を被告の損失として補償すべき義務を負うものである。また、原告は、昭和五八年六月から同年一二月までの間の被告に対する約定手数料三八〇〇万円の支払を怠つている。

3  よつて、被告は、原告に対する右三億八二〇〇万円の損害賠償債権及び右三八〇〇万円の手数料債権(以下、これら債権を「本件自働債権」という。)をもつて、本件各手形金債務とその対当額で相殺する旨の意思表示をするものであるから、原告の本訴請求は理由がない。

第三  当事者の国際裁判管轄権に関する主張の要旨

一  被告

1  原被告は、本件契約締結に際し、昭和五五年一〇月二七日付副代理商契約書七条一項をもつて、本件契約に関する訴訟についての裁判籍はドイツ連邦共和国マール市に存する旨の管轄合意(以下「本件管轄合意」という。)をするとともに、本件契約に関する準拠法を右同国法とする旨の準拠法指定(以下「本件準拠法合意」という。)をした。

2  本件各手形は、被告において原告が被告に供給したヒュルス社の製品の代金支払のために、換言すれば、本件契約に基づく業務の履行として振り出したものであり、本件各手形に関する原被告の法律関係は、本件契約と不可分であるから、本件各手形金請求訴訟は本件契約と同一の裁判管轄権に服すべきものであるが、しかし、本件契約につきされた前記本件管轄及び本件準拠法合意は、原告の経済的に優位な立場を利用して被告に一方的に不利益を強いるものであつて、無効と解すべきであるから、本訴請求にかかる本件各手形債権及び被告主張の本件自働債権の存否は、本件管轄合意、本件準拠法合意にかかわらず、日本国の裁判所において日本国の法律を準拠法として審理されるべきである。

3  しかしながら、かりに、本件管轄合意が無効でないとすれば、本件管轄合意は専属的管轄合意と解すべきであるから、本件各手形が本件契約の履行の一環として振り出されたものであること前記のとおりである以上、本訴請求にかかる本件各手形金債権及び被告主張の本件自働債権の存否は、本件管轄合意及び本件準拠法合意に基づきドイツ連邦共和国の裁判所において同国法に準拠して審理されなければならないものであつて、原告の本訴請求についての日本国の裁判所の裁判管轄権は排斤され、したがつて、本件訴えは却下を免れない。

4  応訴管轄について

(一) 渉外的争訟事件の国際裁判管轄権に関しては応訴管轄権は発生しないものと解すべきである。

(二) かりに、渉外的争訟事件に関して応訴管轄権が発生するものであるとしても、被告は、昭和五九年(ワ)第五七五〇号事件(以下「甲事件」という。)及び昭和五九年(ワ)第四六一九号事件(以下「乙事件」という。)の各第一回口頭弁論期日において、管轄違いの主張を留保して本案につき答弁をしたものであるから、応訴による管轄権が生ずる余地はない。

(三) かりに、被告の右各第一回口頭弁論期日における答弁が管轄違いの主張を留保したものとは認められないとしても、被告は、本件管轄合意及び本件準拠法合意がいずれも無効であることを前提に本案につき弁論をしたのに対し、原告は、本件管轄合意及び本件準拠法合意がいずれも有効であるとしつつ、本件各手形債権は日本国の裁判所で日本国の法律に基き、また、本件自動債権はドイツ連邦共和国の裁判所で同国法に基き、おのおの審判されるべきことを前提に本訴請求をしているものであるから、被告の右本案の答弁は、原告の本訴請求と全く異る前提に立つものであつて、未だ本案につきされた弁論ということができず、ひいては、右答弁の故に応訴による管轄が生じたとすることはできない。

二  原告

1  原被告間には、本件契約に関し、本件管轄合意があるが、本件各手形金請求は、本件契約それ自体に関するものではなく、これについては何ら管轄に関する合意がないから、本訴請求については、被告の住所の存する日本国の裁判所に裁判管轄権がある。

2  かりに、本件管轄合意が本訴請求に及ぶものであるとしても、右合意は専属的管轄合意ではなく、付加的管轄合意にすぎないから、被告の住所の存する日本国の裁判所の裁判管轄権を排斤するものではない。

3  かりに、本件管轄合意が専属的管轄合意であるとしても、被告は、甲、乙事件のいずれについても、第一回口頭弁論期日において、裁判管轄権不存在の抗弁を提出することなく本案につき弁論をしたものであるから、応訴による管轄権の発生により日本国の裁判所に裁判管轄権がある。

理由

一本件訴えが、ドイツ連邦共和国所在のヒュルス社の資本によつて日本法に基き設立された内国法人たる原告から、我が国に居住するドイツ連邦共和国籍を有する被告に対し提起された、被告が大阪市を支払地として振り出した本件各手形の手形金請求であることは、弁論の全趣旨に照らし明らかであるところ、右請求に対する我が国の裁判管轄権の有無に関する争いは、これを中間の争いとしてとりあげ、当裁判所の判断を示すことを相当と思料するので、口頭弁論を右の争点に制限して審理し、以下この点について判断する。

二被告は、本件管轄合意を無効と主張し、この無効の主張が容れられないとすれば、本訴請求についての我が国の裁判管轄権は存しないことになる旨主張して本件訴え却下の裁判を求めるものである。

1  一定の要件の下で、当事者が特定の法律関係から生じる争訟につき、これを他国の裁判管轄権に専属させ我が国の裁判管轄権を排除する趣旨の合意をすることの許されることは最高裁判所の趣旨とするところであるが(最高裁判所昭和五〇年一一月二八日第三小法廷判決、民集二九巻一〇号一五五四頁参照)、かりに右のような管轄合意があつた場合において、被告が、右管轄合意に違背し我が国の裁判所に提起された訴えに対し、裁判管轄権不存在の主張をしないまま本案につき弁論をしたときは、以後被告において右管轄合意を援用して裁判管轄権不存在の主張をすることはできず、かつ、このようなときには、受訴裁判所は、右管轄合意の存否、効力につき調査するまでもなく、応訴により管轄権が生じたものとして直ちに本案につき審判して差し支えないものと解するのが相当である。この点を詳論すれば以下のとおりである。

2 我が国の民事裁判権の物的限界、すなわち、我が国がどのような範囲の民事争訟に対して裁判管轄権を有するかとの問題については、これを規律するところのいわゆる国際民事訴訟法に属する成文法規がなく、また、国際法上確立された法則もないから、渉外的要素を帯びた争訟をどの国において裁判をすることが民事訴訟法の普遍的基本理念であるというべき裁判の適正かつ公平にして能率的な運営に資するかとの観点から、国際的規模における裁判管轄権配分の問題として条理に従いこれを決すべきと考えられる。ところで、我が国の民事訴訟法の管轄に関する規定は、内国における裁判の適正、公平、能率等に配慮して設けられたものであるから、その成文法規の趣旨は、国際民事訴訟法の性質に反しない限り、国際裁判管轄権の決定に際してもしんしやくして妨げないと解される。

さて、原告の提起した本件訴訟は、法廷地たる我が国からみて、公益上の要請から、他国の裁判管轄権に専属させるのを相当とし、我が国の裁判管轄権を排除しなければならないような争訟事件(例えば、他国に属する土地を直接の目的とする争訟など)には該当しないから、本件訴訟において、被告が我が国の裁判管轄権を争わないで本案につき弁論をした場合には、我が国民事訴訟法二六条、二七条のいわゆる応訴管轄の規定の趣旨に則り、被告の応訴により我が国に国際裁判管轄権が生じ、以後被告において裁判管轄権の不存在を理由に訴え却下の裁判を求めることはできないというべきである。

けだし、国際裁判管轄権に限り、被告が一旦本案につき弁論をし応訴する姿勢を明らかにしたにもかかわらず、その後に至りなんどきでも右裁判管轄権を争うことができるとするならば、裁判管轄権の調査が必ずしも容易とはいえない実情に照らし、訴訟手続の遅延を招き原告の地位を不安定にするのみならず、現在、我が国の裁判所に提起された訴えを他国の裁判所に移送する制度がないため、裁判管轄権の欠缺により右訴えは却下を免れないことになるが、これでは請求債権が時効消滅する結果を招くこともありうるのであり、被告の恣意により原告に不測の不利益をもたらし、ひいては、渉外的私法関係の安全を害することになるといわざるをえないからである。

そして、このような応訴による裁判管轄権の発生は、これとは別の理由による裁判管轄権の発生が認められると否とにかかわらず、これを肯定して差し支えないものであるから、応訴による裁判管轄権の発生が認められるときには、我が国の裁判所は、訴え提起時にこれに対して本来裁判管轄権を有していたか否かにつき調査をするまでもなく、直ちに本案につき審判をすべきであると解して差し支えないものである。

3  そこで、被告が本案につき弁論をしたと認められるか否かにつき検討するに、被告が、昭和五九年四月二七日甲事件の、昭和五九年五月八日乙事件の各第一回口頭弁論期日において、同一内容の答弁書に基づき、それぞれ、本案前の申立をすることなく原告の本訴請求を棄却し、訴訟費用は被告の負担とする旨の裁判を求める申立をし、請求原因事実に対して認否したうえ、さらに原告の請求が理由のないことの主張として、本件自働債権による相殺の抗弁を提出したことは記録上明らかであり、これによれば、被告は、本訴請求につき我が国の裁判管轄権を争わないで、本案につき弁論をしたものといわなければならない。

もつとも、被告は、被告において右各答弁書第七、一、(2)において管轄違いの申立を留保している旨主張し、右答弁書には、「右契約書第七条記載の準拠法及び裁判籍の合意の解釈」の記載が見られるが、しかし、右記載は、これに先立つ「被告の原告に対する損害賠償請求権の法律上の根拠を明らかにするために、被告は次の諸点について論ずる必要があると考える。」との記載よりすれば、本件自働債権を基礎づけるものとして、本件準拠法合意及び本件管轄合意の解釈問題を追つて主張するという趣旨のものにすぎないから、右答弁書の記載に基く答弁をもつて、被告主張のように、管轄違いの主張を留保するものであるとは到底認めることができない。

このことは、被告において、前記昭和五九年六月一日乙事件の第一回口頭弁論期日において、昭和五九年五月八日付被告第一準備書面(第一項を除く)、各昭和五九年六月一日付被告第二、第三準備書面に基づき、また、昭和五九年七月二〇日甲事件の第三回口頭弁論期日において、昭和五九年六月一一日付被告準備書面(第一)に基づき、それぞれ弁論をしているが、ここにおいても未だ本件管轄合意を理由に本訴請求に対する我が国の裁判管轄権がない旨の主張をしていないのみならず、甲、乙事件併合後の第六回口頭弁論期日において、昭和五九年九月一二月付被告準備書面(第四)一の(三)に基き、本件管轄合意は無効であるか、有効であつたとしても付加的管轄合意にすぎない旨弁論していることからも、これを肯定することができる。

4  ところで、被告は、被告において前記のような答弁をしたとしても、右答弁は、本件各手形金債権についてのみ日本国の裁判所で日本国法に準拠して審判を求めようとする原告の本件訴えに対し、本件管轄合意及び本件準拠法合意がいずれも無効で、本件各手形債権のみならず本件自働債権についても日本国の裁判所で日本国法に準拠して審判されることを前提としたものであるから、原告の本訴請求に対して本案の弁論をしたことにはならないと主張するが、裁判管轄権の存否は、本案前の問題として、準拠法の決定に対し論理的に先行する性質の問題であつて、本件準拠法合意とかかわりなく、確定さるべきことであるから、被告の答弁のように、まず裁判管轄権の欠缺につき主張することなく本件準拠法合意の有効、無効等につき主張することは、とりもなおさず、本案につき弁論したものである。

5  なお、付言するに、本件各手形債権の成立及びその効力に関しては、当事者の指定によることなく、手形法九〇条に則り、当然に支払地大阪市の属する日本国の法律が準拠法となるところ、前記のように、当裁判所が本訴請求につき裁判管轄権を有する以上、被告が抗弁として主張する相殺の適否、本件自働債権の存否についてもまた当裁判所で審判すべきことになるから、本件準拠法合意の有効、無効は、抗弁の審理に際して判断すべき問題であり、ここにその判断を示すことはできないものである。

よつて、主文のとおり中間判決する。

(裁判長裁判官小酒 禮 裁判官安間龍彦 裁判官橋詰 均)

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